COLUMN

23-06-09

『私たちの家族像の正体 vol.1 -近代家族の成立-』

 私たちが日常の中で扱う「家族」とは、歴史社会学の中だと「近代家族」というひとつの社会現象として理解されています。両親と子どもから成り立ち、情緒的な絆で結ばれた家族像は人間社会にとって普遍的なものではなく、ある時期に存在した限定的な家族の形でした。事実、全ての人が家族を持つ皆婚社会は構造上再現することが難しくなり、家族システムの崩壊した現代では「家族」を単位とする社会から「個人」を単位とする社会への変革が求められています。


 しかし、依然として多くの人々が家族を前提とした社会に生きているのではないでしょうか。男女関係は結婚を視野に入れた恋愛・性交渉が行われ、結婚した後は子どもを中心としたライフスタイルが理想とされています。「結婚や子育てだけが幸せの象徴ではない」と言われつつも、家族を築くことのできない状況をリスクだと考える風潮は色濃く残っているように思えます。


 こうした根強い家族イデオロギーは私たちを旧時代の家族像に縛り付けてしまい、新しい家族像を思い描く機会を失わせています。言い換えるなら「家族」のイメージが「近代家族」以外に存在しないため、新しい共同体を模索することができずにいるのです。今回の記事では、私たちの家族像を支配する「近代家族」の成立過程を解き明かし、また変遷を辿ることで、新しい家族像を思い描くことの重要性を提示できればと思います。



1. 近代家族の定義 - 近代家族とは何か-


 近代家族を理解する上で最初に整理しておかなければいけないことは「近代家族の定義」についてです。近代家族概念の生みの親である西欧家族史では1960年代から1980年代にかけ、近代家族の定義をめぐり様々な議論が行われてきました。以下、近代家族議論の中で代表的な諸説を紹介します。


⎜世界から自らを切り離した親子からなる孤立集団が社会に対峙し、子供の成長を手助けすることに集団の全エネルギーを費やしている。<P・アリエス>


⎜男女関係(ロマンティック・ラブ)、母子関係(母性愛)、周囲の共同体と一線を画するものとしての家族(家庭愛)の3つの分野における感情の高まりが、近代家族を誕生させた。<E・ショーター>


⎜家族機能の縮小と家族生活の私秘化が近代家族の誕生を画した。家族は、社交性とコミュニティへの統合を犠牲にして、核家族となり、凝縮力を高め、内向的になり、子供中心になった。<T・ハレブン>


 これらの議論をまとめると、近代家族には家内性(domesticity)、私秘性(privacy)、親密性(intimacy)が存在し、社会という公的領域に対する避難所としての機能を備えていたということになります。加えて、集団としての規模が縮小したことで家族一人当たりの価値が大きくなり、夫婦関係や親子関係にも影響を与えたと考えられます。つまり、近代家族とは「公私の分離によって情緒性が強化された小規模集団」だと定義することができます。


 しかし、近代家族をより正確に把握するには、上記で示したような性質が家族に付加された背景を理解することが重要です。ここまで議論されてきた研究は近代家族の分かりやすい性質の理解には繋がりますが、特定の時代、社会、階層において近代家族がどのように成立し、拡大していったのかを実証的に理解できるまでには至っていません。この問題を整理するためには、既存の家族集団と近代家族が共存する時代に遡り、当時の社会状況を観測する必要性があるのです。


 日本の社会学者である山田昌弘は近代家族について論じる際「個々の家族のみではなく社会システム全体の在り方を視野に入れなくてはならない。」という指摘を行いました。そして、実態レベル(実際の家族が近代家族の性質を備えている)と制度レベル(社会が近代家族を前提として構成されている)を区別して前者を「近代家族」、後者を「近代家族システム」と呼びました。


⎜社会が近代家族を前提として構成されている下でも、実際の家族がすべて理念型として挙げた近代家族の特徴を備えているとは限らないし、反対に前近代社会にも、近代家族の特徴を備えた家族があったかもしれない。<山田昌弘>


 また、日本の社会学研究の先駆者である落合恵美子は、近代家族を構成要素とする社会システムに着目すると「19世紀近代家族」と「20世紀近代家族」に区別できると指摘しました。


⎜19世紀の近代家族は中産階級のみに成立し、下層出身の家事使用人が存在していたが、20世紀の近代家族には社会のあらゆる階層に近代家族の性質が確認され、家事使用人の代わりに主婦が自ら家事労働を行っていた。<落合恵美子>

 
 ここから分かることは、一部に近代家族の性質が確認できたからといって、社会全体の家族が等しく近代家族の性質を備えているわけではないということです。たとえ同時代であっても都市部と農村部、さらに市民層と労働者などの階級差によって生活様式は大きく異なり、すべての人々が同質の家族を形成することは不可能だったと考えられます。


⎜近代家族が近代の産物だということは明らかだが、近代家族は決して近代普遍的なものでも、近代貫通的なものでもない。近代のある時点、とくに近代初期における家族をその現実の姿において把握する時、浮かび上がってくるのは近代家族としての同質性というより、むしろ多様性の方なのだ。<姫岡とし子>


 19世紀のヨーロッパ社会では、近代家族に必要な「公私の分離」という社会的条件が完全に確立しておらず、近代家族は経済的に余裕のある市民層に限定されたものでした。労働者階級である下層民には「家族」と呼べる私的な枠組みは存在せず、地域共同体の中で伝統的な自給自足を中心とする社会に生きていたと言えます。


 
2. 市民層と労働者階級 - 異なる二つの世界 -


 近代初期においては多様的だった家族の形が同質性を帯びるようになった背景を理解するには、家族を取り巻く当時の社会状況を把握しなければいけません。ここでは「階層差」に着目しながら19世紀のヨーロッパ社会における人々の生活様式を見ていきたいと思います。上記でも示したように市民層と労働者階級では生活様式に大きな違いがあったため、所属する社会集団(家族や地域共同体)に求める役割もそれぞれ異なりました。とりわけ電気や水道などのインフラが整っていない社会状況では快適な住居空間を維持するのに大幅なコストを必要としたので、「家事労働」の役割が非常に重要でした。多くの人々は生活必需品や食料品の調達に1日の大半を費やすことになり、時間的余裕を手に入れるには家事労働に従事する人間を増やすか、商品を購入するための賃金を捻出するしかなかったのです。


⎜工業が未発達で、商品経済も十分には発達していなかったこの時期は、まだ必要な品物がいつでも入手できるという状態にはほど遠かった。したがって家事労働も、まだ全面的に消費のための労働とはなっていなかったのである。それゆえ、食料品やその他の生活必需品を確保するためには、野菜の栽培、家禽の飼育、機織り、石鹸・蝋燭作りなどを含む家庭内での家事労働に追うところが大きかった。<姫岡とし子>


 とはいえ19世紀初期は資本主義の市場原理が伝統的な産業構造にも拡大しはじめた時期です。これまで存在しなかった市場という概念は生活必需品と食料品の生産手段に豊富な選択肢を与えました。購入と自家生産のどちらを選択するかによってコストの質が変化するため、人々は自分たちの生産力に合わせた手段を慎重に選択することになったのです。この生産手段の違いは、市民層と労働者階級の生活様式を大きく規定し、近代家族の必要性にも影響を与えたと考えられます。


 市場原理を取り入れた生産手段は主に都市部での賃労働を指し、生活の場から切り離されるという特徴を持っていました。自給自足を原則とする伝統社会では地域共同体の繋がりが強固でしたが、都市部での賃労働は特定の人間としか関わらないため、必然的に社会的ネットワークが希薄になります。市民層が家族機能(正確には世帯機能)を縮小させ、「生産共同体」よりも「消費共同体」としての性格を強めていったのは、市場原理を前提とした新しい生活様式に最適化した結果だと言えます。言い替えるなら、地域共同体の持つ生産機能を市場が担うことで、家族機能の縮小を可能にしたのです。しかし、家事労働の負担が大きい社会では縮小できる家族機能に限度があり、生活を維持するには最低でも複数人を家事労働に従事させる必要がありました。そこで重要視されたのが家族と社会を繋ぐ「家事奉公人」の存在と、家庭内責任者である「主婦」の存在です。家事奉公人は雇い主である家族と同居していましたが、プライバシーの観点から家族と明確な境界線を引かれ、主婦によって厳格に管理される対象となりました。


 このように、男性が市場から商品(家事奉公人も含まれる)を購入するための賃金を稼ぎ、女性が商品を加工・管理するという役割分担は市民層の新しい生活様式となり「性別役割分業性」と呼ばれるようになります。市場が未発達な社会で地域共同体の資源を利用せずに生活するには、縮小した家族の機能を夫婦で分担するのが最も優れた世帯戦略だったのです。ヨーロッパ経済史の研究者であるヤン・ド・フリースは、近代社会への過渡期に生まれた性別役割分業を「大黒柱・内助の功モデル」として説明しています。


⎜大黒柱と内助の功の世帯モデルは、協働と分業の場として誕生したモデルであり、拡大を続けていた市場経済の生み出す新たな機会を利用しつつ、新たなリスクを回避するための方策だったのである。<Y・フリース>


 一方、労働者階級の人々は市場原理による自由競争に強い抵抗を示したため伝統的な生活様式を保持する傾向にありました。家族から生産機能は失われず、性別や年齢に関係なく世帯の全員が生計の維持に努めました。市民層に見られた性別役割分業は成立せず、家事奉公人の存在も確認できませんでした。市民層の家族が私的領域の内部に閉じこもるようになったのに対して、労働者階級の家族は変わらず近隣の人々と社会的ネットワークを構築していたのです。


⎜外部世界から閉ざされた私的で親密な情緒的共同体という近代家族の概念は、この時期にはまだ市民層にしかあてはまらなかった。これに対して下層民は、市民層とはまったく異なる世界に住んでいた。なるほど下層民の夫も家庭の外へ働きに出るようになり、この意味では彼らも新しい世界を経験しつつあった。しかし、それによって下層民の従来の家族のあり方が根本的に変わるまでにはいたらなかったのである。<姫岡とし子>




3. 消費社会の幕開け - ステータスとしての近代家族 -


⎜19世紀初期の初期工業化の時代には、食料品をはじめとする生活必需品の入手において自家生産や自家加工がまだ大きな役割を演じていた。しかし、工業化が進展し、また商品経済が浸透するにつれて、市民層の家庭には必ずといっていいほど存在した菜園や食料貯蔵室なども姿を消して、物質の入手は日常的な購入が大部分を占めるようになった。<姫岡とし子>


 19世紀後半になると産業構造は本格的に工業社会へと変化していきます。工業化による技術革新は社会全体の生産力を高め、伝統的な産業に従事していた人々の間にも物質的な余裕が生まれるようになります。そして、生産性の向上は人々を豊かにしただけではなく市場の活性化にも大きな影響を与えました。市場の役割が拡大したことで新たな雇用機会が生まれ、賃労働者の割合も増加、都市部に移住する人々が急増したのです。これにより都市部での賃労働が一般的な働き方へとシフトし、多くの階層の人々に「公私の分離」が見られるようになりました。


 また賃労働の普及は公私の分離だけでなく、市民層と労働者階級の間に存在した「生産力格差」の解消にも影響を与えました。自家生産が重要だった時代は「土地」に生産力を依存していたので、土地を所有することは何よりも重要でした。そのため、家長は手に入れた土地を失わないようこれを相続させ、厳格に管理したのです。もし一度でも土地を失い小作農になってしまえば新たに土地を確保することは困難であり、経済的自立はおろか農奴へと転落してしまう可能性もありました。それが工業化社会になると自らの労働力を商品として売ることが可能になり、土地がなくても雇用さえあれば賃金を得られるようになったのです。賃労働による貨幣収入は人々を「土地」から解放し、市民層と労働者階級の生産機会を対等にしたと考えられます。


 しかし、貨幣収入が重要な指標になったことで「経済格差」という新たな問題が生まれます。伝統社会では一部の特権階級を除き、ほぼ全ての人々が倹約的な生活を余儀なくされていましたが、消費社会においては自らの経済力を誇示する欲求が高まり、都市部では互いの所持品や生活様式を競い合うようになりました。19世紀初期までは地域や生産手段の違いが階層差を生み出していましたが、均質化された社会構造の中では個人の努力が非常に大きな意味を持つようになったのです。


⎜市民層の世界では、商品経済の浸透、家事労働の質的変化にともない、妻の「遊惰」が夫のステイタス・シンボルとなり、外に対してそれを誇示する必要が増大していった。だが、妻が「遊惰」を享受できるのは、上層市民層に限られていた。経済的余裕のない下層市民層の家族では、妻の「遊惰」という体裁を整えるために、女たちの家事労働の負担、とりわけ社会規範と現実との乖離から生じる精神的不負担がむしろ大きくなったのである。<原田一美>


 19世紀初期の近代家族には、脅かされる地域共同体に取って代わる新しい社会集団としての側面がありました。縮小した家族機能を補うための性別役割分業制や、情緒的に結ばれた家族間の連帯も、未知なる資本主義に対抗するための戦略だったと考えられます。それが19世紀後半になると、市場が家事労働の負担を大幅に取り除いたことで近代家族に質的変化が生じ、「ステータス」という側面が強くなっていきます。さらに、この頃のヨーロッパ社会では「栄養学」や「優生学」などの新しい学術分野が誕生し、衛生面や健康管理などに人々の関心が集まるようになりました。中でも「教育」に対する意識は高く、子育てへの投資も大きなステータスになったのです。
 


4. 新しく芽生えた市民らしさ - 模倣される近代家族 -


⎜人間には「真似る」という普遍的な性格があるから流行が生まれるという。資本主義社会の誕生以降、格差と社会的流動性(個人の社会的地位の変化)が生じ、上流階級に属さない人々は、彼らの物質的な生活習慣を真似ることで、自分たちの社会的地位を少しでも補正したいという欲求を抱くようになった。<G・ジンメル>


 この時代の人々が「ステータス」を意識するようになった背景には「全体的な富の増加」に加えて「模倣」という人間心理が強く影響しています。都市部では出自や言語の異なる多種多様な人々が密集して生活するため、地域共同体で生活していた時のような帰属意識が芽生えることありませんでしたが、代わりに「市民」としての意識が都市全体を覆うようになりました。この「市民らしさ」の象徴となったのは都市部で生活する上流階級の存在であり、彼等の生活様式は人々に「流行」として模倣されていったのです。


 こうした上流階級の生活様式は次第に社会規範としての効力を持つようになり、流行を追う経済的余裕のない下層市民層や教養がないとされる労働者階級の人々に疎外感を与えるようになりました。言い換えるなら「市民としての同質性」が都市部での生活に求められるようになったのです。これによって労働者階級の人々たちにも市民の生活様式が模倣され、近代家族の割合が少しづつ増えはじめることになります。同時に健康や子育てへの関心が大きく向上し、20世紀に入るころにはあらゆる階層の人々に近代家族の性質が確認できるようになったのです。


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