COLUMN
23-07-01
『私たちの家族像の正体 vol.2 -家族から個人へ- 』
近代家族は20世紀に入ると単なる生活基盤という枠を飛び越えて、近代社会を構成するための重要な要素として機能するようになりました。それは家族の機能を縮小しても問題ないほどに「公」の機能である国家(社会や市場も含まれる)が発展したことで、人々の生活様式が完全に公私の分離を前提としたものに変化したからです。近代社会哲学の先駆者であるヘーゲルは、こうした近代社会の構造を「家族・市民社会・国家」という3つのセクターが三位一体となって成立すると考えました。公的な国家領域と私的な家族領域が区切られた社会の中では、相互の足りない部分を補完するために媒介となるものが必要であり、その役割を担うのが権利と法によって保証された社会だと説明したのです。
⎜家族は愛による統一であり、婚姻によって男女は個別の人格を廃棄し一体となり一人格を形作る。市民社会は家族を背景に持つ独立した個人から成り立ち、諸個人が自分の幸福と欲求充足を求めて活動する。そこから他者との関係が生まれ、権利と法が懐胎されて、それを制度的に保障するものとして国家という公共圏が立てられる。<F・ヘーゲル>
このように社会が近代家族を前提に構成されている状態への変化、すなわち「近代家族システム」が実装された社会を「第一の近代」と名づけたのはドイツの社会学者であるウルリッヒ・ベックです。ベックは、産業社会における人々の生活様式は核家族をモデルに規格・標準化されていたと指摘し、性別役割分業を基盤にしなければ社会全体を産業化させることは難しいと考えました。つまり、近代家族システムが実装されるには、市場の拡大と家族機能の縮小が必要であり、そして縮小した家族によって産業化が再強化されなければいけないということになります。
5. 第一の近代を支える条件 - 第一次人口転換と主婦化 -
⎜「第一の近代」は、誰もが結婚し、ほぼ生涯を添い遂げるという人口学的条件が成立して、すなわち人口転換が起きることによって、初めて実現可能となった。<落合恵美子>
近代家族システムの前提となる「家族・市民社会・国家」の3層が、安定した社会構造として機能するためには「人口学的条件」が必要であると提唱したのは落合恵美子です。落合は、近代家族システムの成立過程を把握するための理論として、個人の心象や社会心理的な枠組みだけでは不十分だと考え、新たな視点として人口学を用いたのです。人口学とは出生、死亡、移動などによって引き起こされる人口変動の要因を客観的に分析・研究する学術分野のことを指し、この観点から分析した結果、近代家族システムの成立に「第一次人口転換」という社会現象が存在することを発見しました。
人口転換とは、高出生率・高死亡率の社会から低出生率・低死亡率の社会へと変換される現象のことを言います。近代以前の社会は、多くの人たちが病気、事故、飢餓などで亡くなる「多産多死型」の社会だったこともあり、人々は常に死のリスクを考慮する必要がありました。特に子どもは亡くなる割合が高く、仮に1組の夫婦に子どもが10人生まれても成人するまで生き延びるのは1人か2人という状況でした。そのため、人々は子どもの生存確率を高めるために出産人数を増やさざるを得ず、これは経済的にも心理的にも大きな負担を与えたと考えられます。このような多産多死型の社会では、経済的に余裕のある階層でなければ近代家族を持つメリットは一切なく、ましてや近代家族システムが成立する余地などほとんど存在しませんでした。
落合が人口学的条件に視点を移した理由がここにあります。多産多死型の社会から少産少死型の社会へと構造そのものが変化しない限り、あらゆる階層に近代家族を成立させるための条件は揃わないと考えたからです。これを裏付けるかのように、近代家族システムがヨーロッパ全体に成立した1880年代から1930年代では、実際に出生率の低下が起こり、死亡率も低下することになります。
⎜乳幼児死亡率の低下を受けて、親たちは死亡リスクを考えずに子どものを数を減らし、1人の子どもにこれまでにはなかったほどの水準で愛情と費用をかけて育てることが可能になった。<落合恵美子>
人口転換によって実現した少産少死型の社会は、人生の安定性と将来性を大きく向上させることになります。死亡率の高い社会では将来に対して投資する猶予が少ないため、人々は即時報酬を選択する傾向にありました。しかし、死亡率が低下したことで将来への見通しが立つようになると、報酬を先送りにする猶予が生まれ、社会全体のリスクに対する許容範囲が広がったのです。これによって人々は、既存の生活から新しい生活に移行する際のリスクを回避できるようになり、容易に近代家族を成立させることが可能になったのです。つまり、近代家族システムが成立する背景には、産業化による富の拡大だけではなく、生活環境の抜本的な改善という「社会的進歩」が必要だったのです。
加えて落合は、近代家族システムが成立する条件のもうひとつに「主婦化」を重要な要素として挙げています。ここで説明される「主婦」は19世紀の近代家族に誕生した家庭内責任者としての主婦とは異なり、近代家族システムの成立によって大衆化した主婦を指します。この時期におけるヨーロッパ社会では、女性は良き妻であり母であるべきという「良妻賢母」の思想が社会規範となっていました。公私の分離を前提とした産業構造への変化、人口転換による結婚生活の安定化など、女性が主婦になるための社会的条件が揃ったことで主婦化がはじまったと考えられます。また、上流市民層の間で「専業主婦」というステータスが存在していたことも影響しているかもしれません。
6. 日本における第一の近代 - 憧れとしての近代家族 -
日本で最初に近代家族の性質が見られるようになるのは大正時代に入ってからです。大正以前の婚姻は政治的な側面が強く、家同士の同盟や家業の存続などを目的に家族運営が行われていました。そのため結婚するのは士族や資本家などの特権階級のみで、その他多くの人々にとって結婚は無縁のものでした。それが明治の後半になると、近代初期のヨーロッパ社会と同じように工業化が進み、公私の分離を前提とした新しい生活様式が都市部で少しづつ広まっていきます。さらに大正時代には第一次世界大戦の影響を受けて経済的にも好況な時期となり「俸給生活者」と呼ばれる、現代で言うところのホワイトカラーのサラリーマンが「新中間層」として活躍するようになります。この新中間層は近代初期ヨーロッパの中産階級と同じように家族機能を縮小させ、日本で最初の近代家族を成立させていきました。
⎜大都市郊外に新しく開かれた郊外住宅地に住み、そこからこれまた新しく敷設された市電に乗って職場まで通勤するという、新しい生活様式が創出しました。このような職場と家庭の分離、言い換えれば公私の分離があって初めて、妻は夫の留守を守る「おくさん」になったのです。<落合恵美子>
その後、世界恐慌や第二次世界大戦の影響で日本の家族は大きく揺れ動きましたが、戦後の復興の中で社会全体が工業・産業化し、再び市場の拡大と家族機能の縮小が見られるようになります。そして1950年代に入ると人口転換と主婦化が起こり、日本でも近代家族システムを前提にした第一の近代が成立するようになります。
⎜戦後、女性は社会進出したのではありません。戦後、女性は家庭に入ったのです。<落合恵美子>
しかし、日本の第一の近代はヨーロッパのそれとまったく同質の現象ではないことを頭に入れておかなければいけません。ヨーロッパで第一の近代が成立した1880年代から1930年代の社会と、日本が第一の近代を成立させた1950年代以降の社会では「市場」の果たす役割が大きく異なるからです。戦後の20世紀は、過去と比較にならないほど商品やサービスの流通が拡大した時代であり、近代初期に存在していたような自家生産は完全に消失しました。そのため、家事労働の負担は大きく削減され、同時に主婦の価値も著しく低下していったのです。主婦の価値の低下は、近代家族に不可欠だった性別役割分業性を形骸化させ、妻が夫に収入を依存する構造を生み出す要因になってしまいます。同様の問題はヨーロッパ社会でも起こりましたが、日本の場合は「家電」の登場も重なっていたことで主婦の価値がより低く見積もられていた傾向にあります。
戦後日本に成立した近代家族システムがヨーロッパ社会と異なる点のもうひとつに「近代家族への憧れ」という社会心理が存在します。当時の日本は敗戦の影響から自国の文化的アイデンティティを見直す必要があり、欧米のイデオロギーを積極的に取り入れようとする姿勢がありました。その中で日本人に大きな衝撃を与えたのが「近代家族」の存在だったのです。夫婦と子どもから成り立つ核家族、愛情に満ちた平等な関係、大きな一軒家におしゃれな家具、後に「マイホーム主義」と呼ばれる家族中心的な欧米のイデオロギーは、戦前の日本家族の特徴だった「近代的家制度」と比較され、日本人全体の憧れとなったのです。そこから支配的な「家」と愛情に満ちた「家族」という対立構造が生み出され、「家」を強く批判する流れから「自由恋愛」や「子どもへの愛情」という価値観が大衆にも芽生えるようになりました。日本の近代家族が大衆化した理由の中でヨーロッパ社会と最も異なる点は、「理想としての近代家族」が先にイメージとして存在し、それを後追いするような形で実行されていったことです。
7. 20世紀体制 - 先進国の実現した「ゆたかな社会」 -
近代初期にヨーロッパで成立した近代家族は、20世紀も半世紀を過ぎた頃になるとグローバルな秩序へと拡大していきました。ヘーゲルが19世紀に描いた「家族・市民社会(権利や市場)・国家」の3つから成り立つ社会構造は、より複雑かつ密接に繋がり「20世紀体制」と呼ばれる新しい仕組みで機能するようになります。この20世紀体制は、⑴男性稼ぎ主・女性主婦型の近代家族、⑵フォード的生産様式・大量消費社会、⑶ケインズ型福祉国家という様態を取り、それぞれが、⑴家族・⑵市民社会・⑶国家に対応していました。
まず、フォード的生産様式とは、商品を規格化・標準化し、作業工程を画一的に管理する生産体制のことを言います。20世紀初頭にフォード・モーター社等において確立されてから半世紀ほどの間、先進国の主要な生産システムとして機能しました。従来の生産過程とは異なり、作業を分担し単純化することで、熟練工でなくてもクオリティの高い製品を低コストで作り出すことを可能にしました。また、多くの労働者を管理することができたため、安定した雇用を生み出し、全体的な所得の増加をもたらしました。これによって多くの人に消費機会が与えられ、大量消費社会が実現します。
次にケインズ型福祉国家とは、経済成長を優先することで社会保障の充実を図る方針を言います。高所得者から多めに徴収した税金を福祉費用に充てることで所得の再分配を行い、人々が平等に消費できる社会を目指しました。年金制度、生活保護、国民保健など、幅広い層に対する福祉が実行されたことで、人々が常に安定した消費を行えるようになりました。
このフォード的生産様式・大量消費社会とケインズ型福祉国家の相関性を分かりやすく言い換えるなら「国家の福祉は経済成長するほど拡大する」というものになります。国によって細かい差異はありますが、安定した雇用と、それにともなう消費が経済成長へと繋がることで、福祉国家が磐石なものへと強化されました。これによって誕生したのが「ゆたかな社会」と呼ばれる、欧米先進国の黄金時代です。
そして最後に忘れてはいけないのが「ゆたかな社会」を根幹から支えていた近代家族の存在です。近代家族は消費の主体であると同時に、国家が介入できない領域、すなわち「労働力の再生産・人の生産」に対する役割を引き受けていました。そのことをデンマーク出身の社会政策学者であるイエスタ・エスピン-アンデルセンは以下のように言います。
⎜初期の段階では、現代福祉国家はいずれも「家族主義」を前提としていた。「家族主義」とは、家族がその成員の福祉に対して最大の責任を持つことを前提とした福祉レジームである。
⎜戦後の社会政策は、男性稼ぎ主と主婦からなる家族を前提としていた。最近まで、福祉国家があまりにも所得維持(金銭給付)に偏り、子どものためであれ、要介護高齢者のためであれ、社会サービス供給の面では未発達だったことの理由は、家族主義の前提から説明される。
エスピン-アンデルセンは、福祉国家を成立させる条件となる経済成長の背景には、家族主義が前提になければ実現できなかったと言います。国家を安定させるには人口の維持が不可欠であったため、夫婦の間には2人以上の子どもが必要であり、さらに子どもが生産年齢人口まで無事に育たなければいけませんでした。国家が家族にリソースを割くのは、生産年齢人口の増加が直接的に国家の繁栄に繋がるからにほかなりません。しかし、裏を返せば、国家が直接介入できる範囲は家族に限られ「個人」を対象にすることはできませんでした。家族よりも小さな単位を管理することができなかったのです。個人を支えられるのは、物理的にも情緒的にも繋がった近しい存在に限られていました。
8. オイルショックによる経済不況 - 揺らぐ近代家族 -
1960年代後半、西ヨーロッパや北米を皮切りに再び出生率の低下がはじまります。1880年代から1930年代に起きた第一次人口転換による出生率低下では、人口維持の可能な「人口置換水準」を下回ることはありませんでしたが、今回の出生率低下は人口置換水準を割り込む低下となりました。当初は一時的な現象だと思われていましたが、次第に人口転換同様の社会変化だと認識され「第二次人口転換」と呼ばれるようになります。さらに同時期である1970年代以降、これまた西ヨーロッパや北米において急激な女子労働力の増加現象も見られるようになりました。第一次人口転換と重なるタイミングで主婦化がはじまったことになぞらえて、この女性の社会進出は「脱主婦化」と呼ばれています。
こうした現象が起きた背景には、1970年代に発生した2度のオイルショックがあります。石油の輸出国であった中東諸国で内戦が勃発し、石油の価格が高騰したのです。工業社会だった先進国は主なエネルギー源を石油に依存していたため、石油の高騰は深刻な経済不況をもたらしました。
⎜ヨーロッパでは若年失業がとりわけ深刻であり、妻を主婦にして養うだけの経済力のある若い男性は減少した。男女とも雇用が不安定だったため、そのときに仕事のある方が働くしかなく、性別分業という贅沢をしている余裕はなかった。<落合恵美子>
雇用が不安定になると、男性稼ぎ主・女性主婦型の近代家族を維持することが難しくなり、女性も市場労働を行う必要性が生まれました。これは結婚や出産の意欲を意識の面でも、経済的な面でも低下させ、若者の結婚率低下を引き起こす要因となります。結婚しない人の増加は「家族を単位とする社会」を根底から覆すと同時に「ケア」の担い手である女性が既存の家族から存在しなくなることを意味しました。これによって福祉国家の役割は変更を余儀なくされます。
⎜家族が多様化し、家族に所属しない個人も増えて、家族を社会の最小単位とするには無理のある現実が生まれた。また高齢化は生産年齢人口割合を縮小させるので、女性も生産労働に就かざるを得なくなった。再生産コストを経済、国家、家族の3セクターで分担し、生産労働と再生産労働の両方を含めた労働の適切な再配置がなされるよう、注意深く社会システムの再構築を行わなければ社会が維持できなくなった。福祉国家の主な役割は、所得再分配から社会的なサービスの提供へと拡大した。<落合恵美子>
この時期の欧米諸国では、これまでとは異なる社会を理論化しようと多くの概念が考えられました。例としては「ポスト近代」「脱工業社会」「サービス経済」などが挙げられます。ウルリッヒ・ベックは、1980年代以降の世界を「グローバル化」と「個人化」に特徴づけられる「第二の近代」だと表現しました。
9. 「第二の近代」 - 個人を単位とする社会 -
オイルショック以降の欧米諸国は新しい政策を次々に実施しました。イギリスのマーガレット・サッチャーはケインズ型福祉国家の抜本的改革に取り組み、アメリカのロナルド・レーガンは「小さな政府」をスローガンに「新自由主義的な政策」を行いました。国ごとに方向は異なるものの、共通している点は「脱家族化」であり、家族を単位とした社会から個人を単位とした社会への変革を目指したのです。
⎜「脱家族化」には「国家による脱家族化」と「市場を通じた脱家族化」の2つ方向があると整理している。人間再生産はいまや(というより、再び)家族のみが行うものではなく、市場、国家、ときにはコミュニティも責任とコストを分担して行う事業となった。<E・アンデルセン>
欧米諸国の新しい仕組み作りのポイントは「ケア」(労働力の再生産・人の生産)のコストを社会的に分担することにありました。近代家族、とりわけ主婦が担ってきた家庭領域での労働を適切な形で社会に再配置することが求められたのです。そして、北欧やフランスでは国家による社会サービスの供給が、イギリスやアメリカでは市場化の促進が進められました。
しかし、「家族を単位とした社会」から「個人を単位とする社会」への改革には想定よりも複雑な問題が孕んでいました。家族を単位とする社会とは、単に皆が家族を持つ社会という意味だけではなく、個人のあらゆる関心や欲求が家族内部に吸収されている社会だと言えます。国家や社会が家庭内で起こる個人の問題に介入せずに済むのは、家族が家庭内で起こる個人の問題を家庭の外に表出させないように機能していたからです。それが個人を単位とする社会へと変革されたことで、個人に対する抑止力としての家族が失われ、個人のあらゆる関心や欲求が家族外部へと拡大していくようになったのです。
⎜前産業社会における家族が、おもに連帯の義務によって互いに結びついている、「必要性の共同体」であったのに対して、現代の世界では、「個人がデザインする生活」という論理が効力を発している。家族は、ますます選択的な関係性、すなわち独立した人々の連合になってきている。人々は、それぞれ、自分自身の関心・経験・計画を家族に持ち込み、また、それぞれ異なった規制・リスク・制約の影響を受けているのである。<B・ゲルンスハイム>
ゲルンスハイムの言うように、「個人がデザインする生活」という論理が大衆化すればするほど、個人を囲う共同体(家族、企業、地域、国家)の役割は変容していかなければいけません。とはいえ、共同体が全ての人間に対して個別最適化されることは困難であり、マイノリティの存在がこぼれ落ちてしまうことは避けられない事実です。現代社会で問題となっている現象は、近代家族・社会・国家という第一の近代の仕組みが機能しなくなり、新しい個人のセーフティーネットが必要とされる中で顕在化したものが多く見られます。個人を囲っていた(縛っていたとも言える)近代家族という器がなくなり、剥き出しになった個人の関心や欲求が直接的に社会に向けられている状況を、どのように捉えるのかは議論の余地があります。
⎜第二の近代のもとでの生活の経済的・社会的・文化的領域が複雑かつ根本的に変容するなかで、第一の近代の多くの社会制度(国家・政党・市場経済・福祉制度・学校・企業・そして家族)は、社会にとっても人々にとっても、突如として効力を失ったり機能不全に陥ったりしてしまう。それらの制度は徐々に弱体化し、第一の近代においては当然のように提供されていた社会的機能や個人的有用性の提供が困難となる。一方、個人にとっては、永続的に個人化された努力・追求・存在・という観点から自らの自分史を再設計することが、ますます必要となる。それゆえ個人化は、第二の近代のもとでの社会変化の本質となるのである。<U・ベック>
第一の近代から第二の近代へのパラダイムシフトは、近世から近代にかけて一度収束しかけた階層社会を再び蘇らせたとも言えそうです。個人間の競争が激しくなれば、格差(経済・社会的役割・配偶者及び内縁者の獲得など)が生まれてしまうのは当然であり、上層の人々に適した社会環境へと基準が上がってしまうという現象が起こります。さらに競争の範囲がグローバル規模ともなれば、加わる淘汰圧もより大きなものになってしまいます。欧米社会が取り組んできた課題は、こうしたグローバル規模での競争に晒された個人に対する、新たなセーフティネットの構築なのです。