COLUMN
24-02-12
『なぜ私たちは家族を失いたくないのか ? vol.1 -日本の家族主義- 』
私は以前の記事で「日本は根強い家族イデオロギーに規定されているため、家族以外のセーフティネットが存在していない。」という指摘を行いました。この問題は当時の日本政府が、高度経済成長という特殊な社会条件に支えられていた近代家族システムを、日本の伝統的な家族像だと判断してしまったことが原因だとされています。
⎜中曽根政権が実現したのは、夫に経済的に依存する主婦であることを前提とした女性の年金権の確立(第3号被保険者)など、男性稼ぎ主・女性主婦型の近代家族の制度的強化であった。1980年代の中曽根政権は、個人単位社会と共働きの制度化に向かっていた欧米諸国と反対に、家族単位社会と性分業の制度化を実施した「家族主義的改革」と呼んでよいだろう。<落合・城下>
しかし、日本の家族問題の原因は本当に政策の失敗だけなのでしょうか。私たち個人が問題の本質から目を逸らしている可能性も十分に考えられます。何度も指摘されるように日本の近代家族システムが揺らぎはじめたのは30年以上も前のことであり、そこから社会は目に見えて大きく変わりました。個人を取り巻く社会環境は絶えず変化し、共同体(家族、企業、地域、国家)の役割も変容し続けています。
⎜現代の世界では、「個人がデザインする生活」という論理が効力を発している。家族は、ますます選択的な関係性、すなわち独立した人々の連合になってきている。人々は、それぞれ、自分自身の関心・経験・計画を家族に持ち込み、また、それぞれ異なった規制・リスク・制約の影響を受けているのである。<B・ゲルンスハイム>
1970年代、オイルショックの影響を受けて経済不況に陥った欧米諸国は「ケア」(労働力の再生産・人の生産)のコストを社会的に分担する政策を取りはじめました。これは主婦が負わされてきた家庭領域での労働を社会に再配置することで主婦の負担を取り除くと同時に、「家族」を持たない人々にもケアサポートの購入という新たな福祉を提供する機会を創出したのです。
⎜欧米諸国では「家族を単位とした社会」から「個人を単位とする社会」へと移り変わる過程でジェンダーレス化が推進され、主婦の担ってきた「ケア」の役割が社会に再配置されていきました。つまり、近代家族を解体したことで、近代家族の性質を現行の家族運営に保存する必要性がなくなったのです。<過去記事から引用>
「家族」の質的変化は家族と社会の境界線を曖昧にし、既存の枠組みを超えた社会的関係を築かなければいけない社会へとシフトしました。このような形で欧米社会が変化したのは、多くの人々にとって「近代家族の解体」が支持されたからに他なりません。近代家族に代わる新しい共同体は「人々の意思」と「社会の意思」によって再編されたのです。
1. 「家族」は文化的特色か? - 家族イデオロギーの由来-
上記のような欧米社会の実例を見ると、日本の家族イデオロギーは人々の持つ「家族を失いたくない。」という気持ちによって支えられているように思います。私たちにとって情緒的に結ばれた夫婦、愛情深い子育て、プライバシーの守られた親密な空間、これらの要素は人生において切り離すことのできない「普遍的な価値」になっているようです。実際、日本の家族イデオロギーが根強いことの理由に「文化的特色」を挙げる人は数多く存在します。「日本の家族は情緒的な絆で強く結ばれているため、個人主義的な欧米社会の家族とは異なる。」という主張です。
この文化的特色説が支持される理由は、日本の家族主義を「儒教思想」と結びつけた理論が存在しているからです。これは近代化を進めた明治政府の要人たちが軒並み士族だったことから、儒教的性質が国家思想に反映されたとする説に由来します。当時の江戸幕府は強力な中央集権を築くために「忠孝」と呼ばれる儒教の規範を利用し、士族階級にそれを学習させました。武士は「主君への忠誠と親への孝行」という忠孝の精神を「武士道」として内面化し、士族階級に特有の社会規範を成立させるに至ったのです。こうして士族階級に保存された儒教的性質は、家父長制の強化や一夫多妻制の容認など男尊女卑思想へと発展し、後代の婚姻制度にも影響を与えたというのが一般的な「儒教思想」の理論になります。
⎜大正以前の婚姻は政治的な側面が強く、家同士の同盟や家業の存続などを目的に家族運営が行われていました。そのため結婚するのは士族や資本家などの特権階級のみで、その他多くの人々にとって結婚は無縁のものでした。<過去記事から引用>
もうひとつ別の文化的特色説としては、明治民法の成立にあたって引用された「先祖祭祀思想」の影響が大きいというものです。当時の日本には西洋列強と対等に交渉するための法律が整備されておらず、新しい法律の完成が急務でした。その渦中で巻き起こったものが「民法典論争」と呼ばれる歴史的な事件です。民法典論争について誤解を恐れずに要約すると、明治政府の内部で明治民法の施行を急ぎたい「断行派」と、慎重に取り決めたい「延期派」が政治的に衝突した事件になります。当初の明治民法は「フランス法」を参考に起草される予定でしたが、近代化の黎明期にあった日本にとっては前衛的な部分も多く、民法の完成がかえって国内の混乱を招きかねないと危惧されたことで法律の施行が見送られていたのです。
⎜法典論争は大日本帝国憲法発布、教育勅語下賜、帝国議会開設、市町村制施行という一連の明治国家体制が、組織されるときに、その基礎にいかなる社会思想や家族思想を置くかについての争いであった。明治の政治家達には、人権思想や法の支配の思想が欠落していた。したがって、法典論争を契機にして明治国家体制の底に押し込めておいた自由民権のエネルギーが噴出し、明治国家体制を根底から揺さぶられるような事態になることを恐れた可能性がある。<依田精一>
このような論争の中で、憲法学者である穂積八束(ほづみやつか)が登場し、「祖先教である日本は祖先の霊を代表する家長の家父長権が「家」に基礎を置くこと。その「家」の拡大が氏族や国家の原理であるとして、天皇と臣民、家父長と家族の権力関係を同一の根源(祖先教)とする。このことは、天皇が政治権力の総括者であるとともに、国民の宗教(祖先教)的信仰の対象となることも意味する。」という独自の理論を展開します。
穂積八束の「日本は祖先崇拝に基礎を置く家父長的家制度が国家の原理である。」という主張には、彼が19世紀末にヨーロッパを訪れた際の経験が影響を与えているとされています。王権を中心としたヨーロッパの旧社会体制が、個人主義と社会主義によって解体されていく様子を日本の現状と照らし合わせたのです。そして穂積八束は、ヨーロッパ社会と日本社会を比較研究する中で、古代ローマの家族制度と日本の家制度との間に同質性を見出し、「ヨーロッパ家族の原型であったローマの「家」が個人主義的な家族になってしまったことで、ヨーロッパ社会は統合力を失ってしまったのではないか。」という理論を導いたのです。
⎜キリスト教以前のヨーロッパの国家も祖孫一体的なローマの「家」制度を拡大したものであったとする。しかし、キリスト教は、神のみが個人と結びつき、また、神の前では家長も家族員も平等であるから、家長の権力は弱まり、父子の秩序は弛緩して、「家」衰亡したとする。そしてヨーロッパで近代国家の基礎が固まるまで、社会権力の中心がなくなり、無実序になったのを救ったのは、キリスト教であると認識する。しかるに、そのキリスト教の「家」は個人主義に立ち、契約を基礎とするから、利害相反による不安定を伴う。それゆえ、キリスト教の「家」が中心となったヨーロッパの国家、社会も、常に利害の相反、実力支配の反覆で絶えず動揺を重ねる。かように、キリスト教の個人主義では、国家はしっかりと国民を統合できない。<依田精一>
最終的に穂積八束の理論は近代日本の事情にもっとも則した内容であると評価され、明治民法の施行は延期されることが決定、民放点論争は幕を閉じました。
⎜明治の近代化の中で民法典論争が起こり、穂積八束(ほずみやつか)は、フランスの個人主義に対して日本の伝統文化の保持の立場から反対の論陣を張った。その中で、日本文化の根底に先祖祭祀があり、それにもとづく「家」制度が日本の基本であると主張した。この論文の影響もあって、個人主義的な旧民法の施行は延期され、10年の歳月をかけて改定され、「家」的要素を加味した明治民法が施行された。<森本一彦>
このような論争が生まれた背景には、近代国家という枠組みの論理に国民を育成する意図が存在しているからです。国家という大きな母体の運営には国民の社会的コンセンサスが必要であり、国民たちを納得させられる「正統性の論理」が必要になります。それがなければ、新しい政治指導者の指示に従う理由が分からず、国民は容易に逃亡・放棄・反乱を実行してしまいます。
⎜中間手段を介して国家(支配者)と結びつく前近代の封建的社会とは異なり、近代の国民国家は国家と国民(個人)が直接関係を結ぶ集権性を原則とする。国家は、村や同業者組合などの中間集団を介さず、徴兵や労役などで個人を動員するために、国民を統合する装置を必要とする。国家に従順な国民の育成をめざすこととなる。国家が前時代の支配関係を否定して正当性を獲得するためには、新しい近代を持ち出すか、より古い伝統を持ち出す必要がある。近代を象徴する西洋文化は、上位階層にはスムーズに受容されるが、中位階層以下では抵抗もみられる。国家は自国文化に根差し、より原初的で、不変的な存在とみえる家族を持ち出し、論理的な理解ではなく、情緒的な感覚に訴える。家族はもっとも身近な集団であり、太古から変化しないとの言説を持ち出し、国民に国家への忠誠を誓わせる。家族国家観や性別分業はその典型である。<森本一彦>
以上のような「儒教思想」や「先祖祭祀思想」には、日本の家族規範の強さを文化的特色によるものだと納得させるだけの理論が備わっていました。結果として、1980年代に実施された家族政策に同様の理論が引き継がれて、現在でも日本の家族主義は伝統的なものであるという主張が受け入れられています。
しかし、昨今ではアジア社会と儒教の関係性について研究が進み、儒教が日本に与えた影響についての考え方が改められています。例えば、アジアの伝統的な女性像として信じられてきた「良妻賢母」の起源は欧米由来の女性像だったことが判明しています。上述したように、家父長権の強い中国社会で誕生した儒教には男尊女卑の思想が色濃く存在していたため、女性が子育てに直接関与することは許されませんでした。この規範は日本の武士階級にも引き継がれ、基本的には家長である父親が教育を担当し、人手が足りない場合に限り乳母や妻が育児を任されていたのです。これは西洋文化が輸入される以前の日本社会では「母親」という観念が極めて希薄だったとことを意味します。
江戸時代の女訓書を研究した小山静子によると、母としての心得について触れた記述が顕著になるのは明治時代に入ってからであり、良き母としての観念は欧米の女子教育観の影響によってもたらされたものだと指摘しています。また落合恵美子は、西洋女性との比較から東洋女性のイメージを相対的に浮かび上がらせ、アジア女性を良妻賢母として認識するに至ったと指摘しています。
⎜西洋列強の優位と脅威が、西洋起源の良妻賢母の導入につながったが、同時に西洋への対抗心が、東洋的な女性像の創出をした。『自己オリエンタリズム』とでも呼ぶべきメカニズムである。男性と対等な個人としての『新女性』の出現により、そちらを西洋女性像と呼び変えて、良妻賢母を東洋の伝統に引き寄せたのは、儒教的伝統の共通性というよりも、そのような観念的なアイデンティティの政治だったのではないだろうか。<落合恵美子>
日本で確立した良妻賢母に代表される儒教思想は、西洋との比較によって意図的に強化された後、再びアジア社会へと輸入されることになりました。そして「儒教はアジアの伝統性を保存する上で重要な要素である。」という期待が膨張し、実態の分からないアジア像を生み出してしまったと考えられます。
⎜儒教は家族主義的なものであるとしばしば言われ、家族は東アジアの社会それぞれにおいて文化的な核とされてきた。とはいえ、儒教の特徴とされる家族主義・祖先崇拝の重視・父系血統主義などの、尊卑のヒエラルキーを伴った人間関係のネットワークによる社会秩序形成は、儒教だけの専売特許でもない。そして「儒教社会」の中でも家族のあり方は多様であり、家族主義といわれるものの内容もそれぞれである。<小浜正子>
これらの指摘に共通するのは「儒教思想」や「先祖祭祀思想」の下地になっている「文化的特色説」は総じて「西洋との比較」から語られており、「個人主義の西洋社会」に対して「家族主義のアジア」という安易な二項対立によって構造を理解しようとする点です。現代のアジア社会が旧来の儒教文化とは異なるように、アジア社会を安易に家族と結びつける風潮は見直されるようになりました。実際、現在ではアジアの文化的多様性に対する理解も深まり、文化的家族主義などは明確に存在しないことが解明されています。冷静に考えてみれば、人間社会の起源を辿ると家族・親族・血縁者にたどり着くのは自明であり、あらゆる時代の支配者が論理的な根拠に家族イデオロギーを採用してきたのは容易に想像できます。家族という理念を用いて人々を統治するのはアジア社会や日本に限ったことではないのです。
⎜アジアの多くの社会においては、家族がその「伝統」の中心的な位置にあると信じられてきたので、アジア社会は家族主義的な傾向をもち、社会成員の福祉に責任をもつのは家族や親族集団であって、国家の役割は小さいとしばしば言われる。しかしアジアの人々による論考を虚心坦懐に読めば、歴史においても現代においても、また理念でも実践でも、アジアの家族と親密権は実に多様である。「アジアは一つ」ではない。「西洋」と対比されるものとして、そのように見えるにすぎない。「自己オリエンタリズム」から自らを解放するために、そして自分自身や隣人たちをよりよく理解し、変化する世界の中での自分たちの位置を再定義するために、アジアの研究者たちが協働することの意義は大きい。<森本一彦>
ここから分かることは、日本の家族イデオロギーの所以を文化的要因によって理解するだけでは不十分だということです。仮に文化的要因で説明されるなら、儒教的要素や先祖祭祀に基づく「家制度」は保存され「近代家族の性質」は人々に受け入れらなかったに違いありません。この事実は多くの日本人にとって「伝統的な家制度」より「近代家族」が強く望まれたことを意味します。つまり、西洋社会に起源を持つ「情緒的な絆で強く結ばれた家族」は、日本に保存されていた武士階級の伝統的家族イデオロギーを消滅させるほど「強力な要素」を内包していたと考えられます。良妻賢母に代表される日本の女性像が「作られた伝統」だったように、日本の家族イデオロギーの強さもまた作られたものだったのです。